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アスベスト肺がん労災事件
神戸地方裁判所H24年3月22日
はじめに(波多野進弁護士の一言コメント)
労災の行政基準は絶対的なものではなく、むしろ本件のように不合理な行政の基準が裁判によって改められてきているというのは過労死・過労自殺でもアスベスト事件でも同じという観点から、ご紹介します。
※波多野個人の意見であることをお断りしておきます。
1.事案の経過・概要
被災者は、1961(昭和36)年6月に社団法人全日本検数協会神戸支部(以下「検数協会」という)に採用され、2001(平成13)年3月に同支部を退職した。被災者は、採用後1980年代までの約20年間、主として神戸港において輸出入される積み荷や揚げ荷の数量を調べる検数業務に従事し、神戸港に荷揚げされる石綿の検数業務に従事してきた。
被災者は、上記業務中に石綿粉じんを曝露したことにより原発性肺腺がんに罹患し、2003(平成15)年6月に確定診断を受け、2006(平成18)年1月10日同疾患により死亡した。
被災者及び妻である原告は、被災者の肺がんが上記業務中に船倉内における石綿の検数業務中に石綿粉じんを吸入したことにより発症したものであるとして、神戸東労働基準監督署長に対し、療養補償給付、休業補償給付、遺族補償給付及び葬祭料の支給を請求した。
これに対し、同労基署長は被災者の石綿小体が乾燥肺1g当たり5000本に充たない741本であることを理由に「調査の結果、英被災者氏に発症した肺がんが業務上の疾病とは認められない」として、これらの給付について不支給処分をなした(以下「本件不支給処分」という。)。
2.争点
(1) 業務起因性の判断基準
石綿による肺がんの認定基準(平成18年基準)は、①石綿肺、②胸膜プラーク+石綿曝露作業10年以上、③石綿小体又は石綿繊維+石綿曝露作業10年以上、④10年未満であっても胸膜プラーク又は一定量以上の石綿小体(5000本以上)・石綿繊維(1μm500万本以上、5μm200万本以上)が認められるものは本省協議、となっていたのに、平成19年基準では10年以上の石綿ばく露に加えて「石綿曝露作業10年以上であっても、石綿小体5000本以上」を要求し、本数が充たない申請については不支給とする扱いが横行しており、この平成19年基準が判断基準になるのかどうか争点となった。
本質は、10年ばく露が不明な場合の救済規定であるはずの5000本基準(つまり、)10年ばく露か5000本のどちらかを充たせば業務起因性を認めていたのに、両方を充たさなければならないとすることは不当な限定かどうかであった。
(2) 被災者の石綿ばく露の状況
被災者が石綿曝露していたことを示す客観的な資料が存在しなかった。存在するのは同僚の生々しい供述・証言が中心であった。
3.弁護団の方針
(1) 19年基準の排斥
古川弁護士がたった一人で東京地裁で先行している議論をふまえ、平成19年基準を徹底して粉砕する。10年ばく露が立証できない場合の救済基準(5000本)を通達一本で10年ばく露かつ5000本基準の両方を要求するというとんでもない扱い(国際基準(ヘルシンキ基準)、国の通達の経緯、科学的知見にことごとく反するもので、肺がんの救済を不当に絞ろうとする政策的意図としか考えられないもので、裁判所を説得できるとの確信があった(これほどあからさまな行政の意図が出ている例も珍しく、ここで裁判所が日和ることはもはや行政の誤りを正すために独立が認められているはずの司法の役割がなくなる。)。
(2) 石綿ばく露作業の立証(これがひいては基準論の勝利に結びつくはず・理論が先ではなく事実があって理論・基準があるはず・どの労災事件でも労働事件でも同じはず)
客観的な資料がない中、被災者の石綿ばく露をどのように立証するかが一番問題となった。ただ、過労死、過労自殺の労災事件を中心に行っている当職からすると、同僚等の協力が得られないケースが多数であることに比べると、本件では複数の同僚の協力体制があったため、立証の観点からは非常に恵まれていたと感じた。
平成19年基準を巡る議論(空中戦)を制しても石綿ばく露(地上戦)の立証で負ければ、無意味であるし、石綿ばく露作業の実態で徹底的に勝てれば、平成19年基準のおかしさがより浮かび上がるはずである(石綿ばく露がはっきりあったのに業務起因性を認めないのはおかしい、事実があるのに通達を理由に業務起因性を否定できないはず)。
同じ職場で3名の労災認定事例(石綿ばく露による)があることを把握していたので、この証拠には特にこだわり、文書提出命令申立を行ってでも収集するつもりであった(文書提出命令申立後、プライバシー情報を黒塗りにしてほぼ開示+協力者がいたので、個人情報保護法に基づく開示をしてもらい復命書などを書証として提出)。
4.神戸地裁の判断
(1) 主な認定事実
① クリソタイル(白石綿)について
神戸地裁判決は、過去に世界で産業で使用される石綿の9割以上がクリソタイルであること(32頁)、クリソタイルはクリアランス速度が速く残留しにくいことを前提に「クリソタイルばく露の評価には限界があり、純粋なクリソタイルばく露の場合、クリソタイルばく露によって肺がんを波証したとしても、肺内石綿小体濃度がそう高くないことも予想される」(40~41頁)として、被告国が石綿の種類を無視して、しかも石綿の9割以上がクリソタイルであることを無視して、本数を基準とすることが誤りであることを明言している。
② 検数作業開始前の船倉内・開始直後から石綿にばく露
石綿が輸送される麻袋(後にビニール袋)は「手鉤を引っかけるため破れやすい」(33頁)、「貨物の輸送過程において、荷袋が破れて袋から石綿が漏れ出ているものがあったため、船倉の空気中には石綿が存在した」(37頁)等として、被災者が作業を行う船倉内に入って各種作業をする前から石綿が充満していることを認定している。
検数員は検数作業を船倉内で行うが、石綿が充満した船倉内に入って、「荷袋に付着した石綿を軍手ををはめた手で払いのけて」(37頁)最初から石綿に曝露していること認めている。
③ 貨物の個数や損傷を確認する場所とばく露の酷さ
「検数員は、モッコの側(モッコから1m以内、荷役作業員から1m半から2m離れた地点)に立ち・・・モッコに入れられる貨物の個数や損傷等を確認」(37頁)するとして、石綿の荷役作業員と同様石綿に曝露することを認めている。
「検数員の作業着には石綿が付着し、靴の中や耳等にも石綿が入り込む状態であった」(38頁)「荷袋をモッコに入れてハッチから吊り上げる際などに、石綿が雪のように降ってきて前方が見えない状態となることもあった」(40頁)と認定し、石綿のばく露が酷いものであったかを同僚の証言に沿って具体的に認定している。
④ 同僚労働者の労災認定や健康管理手帳(石綿)の交付
同僚の検数員らが労災認定されたり、健康管理手帳(石綿)の交付を受けていることは石綿ばく露作業を被告国も認めているという主張立証を原告が行っていたが、神戸地裁は前提事実としてその旨摘示している(41頁)。
(2) 業務起因性の判断基準
国際基準というべき「ヘルシンキ基準及び平成18年報告書等の知見に照らせば、石綿ばく露作業に従事した労働者に発生した原発性肺がんに関する業務起因性は、肺がん発症リスクを2倍以上に高める石綿ばく露の有無によって判断するのが相当」(42頁)としつつ、ヘルシンキ基準では高濃度ばく露や中程度曝露といった業種別、職種別で異なるばく露期間を定めているが、平成18年報告書は、日本では、業種別のばく露濃度が明らかでなく、同じ業種や職種であっても、作業内容や頻度によってばく露の程度に差があることを理由に、ヘルシンキ基準の上記業種等別のばく露期間を日本においてそのまま採用することができないとして、肺がんリスクを2倍に高める指標としてのばく露期間を『石綿ばく露作業に原則10年以上』としており、・・・石綿ばく露作業とは業種や職種、作業内容や頻度、石綿濃度を問わないものと解される」(43頁)との判断に立脚しつつ、神戸地裁が採用する認定基準は以下のとおりであるとした。
「ヘルシンキ基準及び平成18年方向書に照らして検討すると」「リスクを2倍以上に高める石綿ばく露の指標として、石綿ばく露作業に10年以上従事した場合についてはばく露があったことの所見として肺組織内に石綿小体又は石綿繊維が存在すれば足り、その数量については要件としない」(44頁)として、本数基準は不要として原告の主張立証を認めた。
そして、被告が主張する平成19年基準について、神戸地裁は、「一定数の石綿小体を要求することは、ヘルシンキ基準及び平成18年報告書の理解に反する」(45頁)として、被告の主張を完全に排斥した。
また、「5000本以上の石綿小体数」基準とは、「ばく露期間が10年に満たない場合に業務起因性を認めるための救済規定として定められた」(45頁)として、全面的に原告の主張を認めた。基準策定の経緯や議論の経緯や国際基準からすると当然すぎる判断で正当である。
さらに、救済規定ではなく、必要条件として石綿小体数を基準を用いることが誤りであることについて、神戸地裁は原告の主張立証に沿って、「石綿小体については、これが5000本未満であっても業務起因性が認められた事例が多数存在し、単に石綿小体数のみで職業性を判断することは困難」であること、「特にクリソタイルばく露の場合」「クリソタイルばく露が石綿小体を形成しがたく、稀にしか確認されないという特性」(45~46頁)を踏まえて、「少なくとも、クリソタイルばく露において、石綿小体数を基準として、業務起因性の認定は範囲を限定することに合理性は認められない」として、平成19年認定基準を否定した。
本数基準が救済規定であること、石綿ばく露の9割以上を占めるクリソタイルの特性を踏まえて、平成19年認定基準を事実上葬り去ったことは極めて正しい判断である。
(3) 被災者の石綿ばく露
被告が被災者の石綿ばく露を裏付ける客観的資料がないとの主張に対して、石綿関連疾患が長い潜伏期間(30年から40年)があることから、「客観的な資料が散逸することは当然に生じうるから」「客観的な資料のみならず、その他の証拠についても十分な検討を行うのが相当」として、同僚労働者の証言の信用性を検討したうえで認定した前提事実に従って、被災者の石綿ばく露を認めた(47~48頁)。
(4) 職業性曝露と称せられる(明確な科学的知見はない)1000本未満について
被告は、被災者の本数が741本で職業性曝露と称せられる(明確な科学的知見はない)1000本未満であったことから、石綿ばく露を受けた可能性が低いとして業務起因性は認められないと主張していた。
これに対し、神戸地裁は、平成18年認定基準が、間接ばく露作業を「石綿ばく露作業として明示的に挙げていること、石綿ばく露作業に従事していた従業員が自宅に持ち帰った作業着などを通して家族が石綿に特異的な疾患である中皮腫で死亡した例があること、クリソタイルの特性から本数基準による評価は妥当でないことなどから、被告の主張は失当であると断じた(49~50頁)。
5.神戸地裁判決の意義
東京地裁判決に続き、アスベスト肺がんの行政の平成19年基準(本数基準)が誤りであることを明確にし、基本は石綿ばく露とその期間が重要であることを明言したことに意義がある。
6.雑感・勝因・今後
当職は、アスベスト関連の事件について全く未経験かつ全く知らないまま(この点では裁判官と同じ目線であった。弁護団から推薦してもらった本を一気に読み込んだ程度)弁護団に入ったが、ヘルシンキ基準及び平成18年報告書、18年認定基準、不当な厳格化の平成19年基準の資料の読み込みと準備書面を書いた段階で、アスベストに由来する肺がんについての国の基準のおかしさ・不当な目的は明らかと確信でき(裁判官もきっとわかってくれるはず)、行政事件で国に勝つことの困難性は他の件で理解はしつつも、事実関係(被災者の石綿ばく露作業の実態とそのばく露期間)を生々しく立証できれば、勝つはずと考えた。
協力してくれた同僚労働者は、労災手続きの段階から詳細な意見書を出してくれていたが、証言ではできるだけ検数作業の具体的な内容、いかに石綿に曝露するのかを具体的詳細に立証することを心がけた(証人の尋問は当職が担当)。尋問のために証人の方には4,5回は打ち合わせ、リハーサルを行ったが、証人の方は正確に事実を語ろうとする誠実な方でその点もよかったと思う。
そして、証言者の方が尋問終了後、アスベストによって肺がんに罹患していたことが検査によって判明し手術しその後労災認定されるというアクシデントまであり、証言者自らの体でもって被災者のアスベスト曝露とその業務起因性を立証したと言える。
さらに、古川弁護士が孤軍奮闘(過労自殺事件でいえば電通事件に匹敵すると思う。)なさっていた東京地裁の事件が完全に勝訴し(控訴中)、大阪の弁護団としても、これで負けるはずがないと考えていた。
本件は同僚労働者、組合関係者など多数の支援があり、かつ、証拠も集まってきたので、理論面はもちろん石綿ばく露の立証の点でも国を圧倒したと思う。
国が控訴することは間違いないが、遺族側や被災者側が高裁で勝訴判決を重ねれば、国は誤った行政基準を変えざるを得なくなるところに追い込まれることになろう。